2. ネットビジネス物語

2. ネットビジネス物語

プロローグ インターネットとの出会い

「やりたいことをやる」

そんな生き方をしたい。自分を発揮して、輝かしい人生を。成功を。いつからかずっとそう感じていた。きっと、誰しも、あなたも、心の中でそう感じているだろう。

子供はいい。考えることなく、自然とそうできる。でも、大人になったら。生活がある。社会人としての責任がある。仕事をしていかなければならない。

そんな「しがらみ」から逃れ、「やりたいようにやる」こともできるだろう。でも、生活していけるだろうか。いっぱしの社会人として、立派に生きていけるだろうか。正直、ドロップアウトはこわい……。

「うちのマックを見に来ない?」

これが、私がインターネットの仕事につく、そもそものきっかけだった。

こう言ったのは、Tさん。私の大学の時の先輩だ。彼は、私の所属していた美術サークルの先輩。先輩と言っても、OBの先輩だから、実際にはサークル活動を一緒にしたことはない。

私の代の美術サークルは、100名を超える人数が所属していた。OBのTさんの代は、わずか数人程度だったそうだ。その盛況ぶりに喜び、飲み会だとか、定期的な作品展などに足を運んでくれた。美術サークルは主に、絵画班と陶芸班に分かれて作品づくりに励み、その成果を作品展で発表する。

そんな美術サークルで、私とTさんは意気投合。仲良くさせてもらった。Tさんは理系の工学部でありながら、絵が上手い。また、音楽の才もあり、バンドを組んで音楽活動をしていた。

Tさんはとても器用だ。描いたファンタジックな絵を——異世界の風景画。そこに女性だとか、鳥だとか、様々なモチーフが美しい色彩で細かく描かれている——パソコンに取り込んで、小さなカレンダーにしていた。音楽も同様にパソコンで——様々な楽器の音源をシンセサイザーで作り多重録音している——作品を作っていた。当時、カセットテープでその音楽作品をもらって聴いていた。そう、この話、もう20年も前の話だ。

私は、大学の専攻は美術。美術を専攻(実技中心)しているのに、さらに美術サークルに所属していた。Tさんとは違い、私はアナログ派だ。美大生気取りで、なんでも感覚的にやることが、かっこいいと思っていた。美大というのは言い過ぎだ。本当は教育系の大学で、マイノリティーの美術専攻という存在にすぎない。実は、学部も文学部なのだ。(現在は芸術学部になっている)

「マック?」

「AppleのMacintosh。Mac。パソコンだよ」

「はぁ……」

もう一度言っておく。私は普段、筆で絵を描いている、アナログ派だ。

言われるままに、先輩のアパートへついていく。

「お邪魔しまーす」

先輩の部屋は、典型的な男の一人暮らし。様々な楽器やサブカルの本、絵の道具が雑然と小さな部屋に押し込められている。

部屋の中央にある小さなテーブル。そこに様々な本や生活用品と一緒に、白い箱型のパソコンが置かれている。なんか、鎮座しているといった感じだ。

「へぇ、これがマックなんですね」

(ジャーン……)

パット・メセニーのギター音だというMacの起動音だ。

数時間後、先輩の部屋を後にし、その道すがら、さっきまでのことを考えた。Tさんは、何も知らない私にマックの画面を見ながら、いろいろと丁寧に教えてくれた。

まず、驚いたのはAdobeのPhotoshopという画像編集ソフトだ。取り込んだ絵の色を次々に変え、様々なバリエーションを見せてくれた。私は普段、絵を描いている。紙の上で試行錯誤しながらやっているようなことが、このPhotoshopでモニタに瞬時に表示された。いとも簡単に。

次に驚いたのは、インターネット。世界はインターネットでつながり、世界中に情報を発信できるというのだ。今となっては当たり前のネットも、携帯電話も持っていない当時の自分には強烈なインパクトだった。

しばらくして、私は、美術教師になることをやめた。

なけなしの貯金をはたいてMacを買った。大学卒業後、インターネットの仕事につくことにしたのだ。

第1部 フリーランスとして独立

第1部 フリーランスとして独立

徹夜だった。その夜は、眠ることなく、休むことなく、仕事をし続けた。初めての仕事の洗礼は厳しかった。

大学卒業後、デジタルの専門学校を経て、ベンチャー企業に入った。WEBサイトやデジタルコンテンツを制作する会社だ。当時、その会社が制作したピンク色のクマのメールソフトが大ヒット。一躍脚光を浴びていたベンチャー企業だ。

その会社に入って1週間後、徹夜をした。数人のチームでウェブ制作にあたり、自分はそのウェブデザインを手がけていた。「入社早々でウェブデザイン?」と驚かれるかもしれない。しかし「キャットイヤー」「ドッグイヤー」——猫も犬も成長スピードが早い——などと呼ばれた、当時の目まぐるしい進歩の中では人手が足りず、このような状況だった。

ちなみに、私にはそれから数ヶ月のうちに、女性のアシスタントがついた。仕事は誰もが知る大企業のウェブデザインばかりだった。(私は、堀江貴文氏やサイバーエージェント藤田晋氏と同世代)

同僚のプログラマーは、寝袋持参でデスクの下で寝ていた。毎日、終電まで働いた。土日出勤、徹夜も頻繁にあった。今では「ブラック」などと呼ばれるが、当時のベンチャー企業では当たり前の光景だった。

しかし、体が悲鳴をあげた。パソコンに向かうデスクワーク。マウスでの長時間の作業は、肩と腰を蝕む。疲労がたまり、腕が肩以上に上がらなくなったこともある。腕を上げようとすると激痛が走った。当時、まだ20代だ。

1年を待たずに独立した。この会社も積極的にバックアップしてくれた。フリーランス最初の仕事もこの会社の社長がくれた。報酬は100万円だった。初任給よりもこちらの方が印象深い。この時の嬉しさは、一生忘れないだろう。

このベンチャー企業にいたおかげで、ウェブデザインからHTMLコーディング、Flashのアニメーション制作など一連の業務はすべてこなすことができた。また、社会人としてどのように仕事をすればいいのかということも学んでいた。

フリーランスとして独立。初めてのギャラは100万円。20代の若さ。その後はどうだったのか? 気になる?

実は、うまくいった。仕事は次々に入り、ほとんど断っている状況だった。1日デザインをして60万円の仕事もあった。激務からも解放された。東京都内に広いワンルームマンションを借り、そこで自由に仕事をした。自分のペースで。

収入もまあ20代としてはいい方だった。年収にして500〜600万程度。ギャラのいい仕事もあったが、すべて納期のある制作の仕事なので、これ以上の無理はできなかった。つまり、これは実労働で稼いだお金。自分のペースで仕事はできたが、どうしても自分が働いた分しか稼げなかった

これ以上稼ごうとするなら、たくさん仕事を受けて激務をこなすしかなかった。いや、もう一つ方法がある。仕事はたくさん来るのだから、人を雇ってその仕事をやってもらえばいい。会社をつくるのだ。

しかし、私はフリーランスとしての経験は3年ほど。会社勤務は1年ほどしかしていない。どうやって会社を経営すればいいのかもわからなかった。人を雇って、その責任を負う自信なんてない。

結局、30歳を機に、私は会社に就職した。

第2部 サラリーマン遍歴時代

第2部 サラリーマン遍歴時代

30歳で、サラリーマンになった。

そのままフリーランスをしていても年収は上がらないし、30代ではサラリーマンの方が給与は良くなるはずだ。そう考えての決断だった。

入った会社は、連結社員数10万人以上の誰しも知るメーカー。そのメーカーのグループ会社に入社。実は、フリーランス時代のクライアントだ。ウェブなどのコンテンツ制作部の部長さんのおかげで、スムーズに入社した。待遇もよかった。

配属されたその部長さんの部署では、ほとんど全員と顔なじみ。フリーランスの時に皆と仕事をしていた。そのこともあり、働きやすかった。皆んなで近くのホテルのランチバイキングに行ったり、楽しい思い出も多い。楽しいと言えば、もう一つ……。

彼女ができた。

そう言えば、社会人になってから仕事ばかりで、プライベートはほとんど思い出がない。何度か飲みに行ったりすることがあったくらい。旅行もしていない。

新しい恋人がいる毎日は新鮮だった。仕事帰りに食事に行ったり、週末にはお互いの家へ行ったりした。人生にはこういう幸せも必要だ。社会人として仕事をすることで、その経済力があった上で、人との関係も築ける。

サラリーマンとして、安定した経済力と生活を手に入れた。恋人もいる。その次は、結婚だろうか。

でも、そうはならなかった。組織の再編で、所属していた部署が消滅することになったのだ。リストラだ。巨大メーカーならではかもしれない。それが告げられた時、同僚の顔は蒼白だった。涙ながらにその想いを訴えた社員もいたそうだ。

私は、ベンチャー出身、フリーランスで独立していたこともある。そして、この会社へ中途入社した。この会社は大手メーカーのグループ会社。ほとんどの社員は、このメーカー一筋に仕事をしていた人たちだ。リストラのインパクトは、転職経験者の私とは比べものにならないだろう。サラリーマンは、会社の状況に否応なく左右されることがある

ありがたいことに、同じメーカーのグループ会社からのお誘いをいただいた。この会社単体でも東証1部に上場している大きな会社だ。

しかし、私はその時、他の業界に移ろうと考えていた。制作の仕事はもうやめようと考えていたのだ。

制作とは、クライアントのウェブサイトなどをつくること。当然、制作物のデータを納品して終わる。納期がある。この会社では、自分はデザインなどはせず、プロデューサーになっていた。

必然的に私は、複数のプロジェクトを抱えていた。つまり、次々に納期がやって来る。デジタルの制作物なので、バグやエラーなど予期せぬトラブルにも見舞われる。他のプロジェクトの影響で、制作が遅れがちになることもある。制作の仕事はとにかく忙しく、気が休まる暇がない。常に納期に追われるストレスはキツかった

そこで、インターネットでの販売に興味を持った。それまではクライアント企業の望む、素晴らしい出来栄えのウェブサイトなどをつくることが重要だった。しかし、それよりも売れるサイトを作って、その売上の恩恵を受けた方がいいと考えていた。

そして、次の会社に移る。この会社は、東証1部上場のIT企業だった。前の大手メーカーにいた実績が買われ、入社できたのだろう。そして、私はここで美術品のインターネット販売を手がけることになる。そう、私の大学時代の経歴も役に立った。

新しい職場は、六本木にあるIT企業。働く人もどこか洒落ている。英字新聞や日経新聞を小脇に抱え、スタバのカップを持ったサラリーマンたちが、高層ビルに吸い込まれていく。

私が配属されたのは、本社の一部署が独立して作られたばかりの小さなグループ会社。スタッフの人数も10名を超えるくらい。そこで絵画のインターネット販売をする。私はチーフの立場で、派遣社員やアルバイトをオペレーションするのが仕事だ。

結局、この会社には3年弱ほどいた。ここで、インターネット販売のノウハウ、会社経営の数字の管理などを学んだ

どうして辞めたのかって? ヘッドハンティングされたのだ。

私は、その夜、寿司屋の座敷で、とある会社の社長さんの接待を受けていた。その会社では、新事業の「アートオークション」を企画しているという。そこで、業界内で交流のあった私に白羽の矢が当った。コンピューター周りのことができる人が欲しいのだそうだ。

率直に言って、この会社は中小企業だ。社員も10人ほど。家族的な雰囲気の小さな会社だ。

私もこの会社と同規模のグループ会社にはいたが、上場しているIT企業の正社員だ。「ヘッドハンティング」とは大げさで、破格の待遇などが用意されていたわけではない。

でも、私は「面白そうだ」と感じた。その会社の社員もほとんど顔なじみ。同い年の社員も2人いた。

その接待から数ヶ月後、私はこの会社の社員となった。この会社では新しくアートオークションが始まった。大々的な規模のものではないが、この会社と取引のある画廊やギャラリーを中心に人も集まった。

この会社は楽しかった。同い年の同僚もいて、仕事終わりにはよく飲みにも行った。そして、この会社の社長さんが個性的な人だった。毎日、ランチは社長さんが連れて行ってくれた。ランチはすべて社長のおごり。同僚たちは長年一緒にいるのでときどき遠慮していた。「新人」の私は、ほとんど毎日社長にランチをご馳走になった。

社長の話は面白かった。もともとその社長は、この会社を引き継いだ形で社長になったらしい。奥さんと一緒に会社を軌道に乗せた苦労話や、この社長の独特の営業方法もためになった

社長は、毎日毎日、全国のお客さんに手紙を書いている人だった。これは、本当に手紙なのだ。商品の話だけではなく、自分の子供の話や趣味の話をひたすら書いているのだ。——今はピンとこないかもしれない。このブログを読んでくれるなら、そのうちこれがいかに有効なビジネス戦略であることがわかるだろう——それを、この小さな会社にはまるで似つかわしくない巨大なプリンターで印刷し、全国のお客さんに届けていた。

この会社はお昼の3時になると、おやつが出た。誕生日にはデパートの商品券なんかももらった。社員たちも和気藹々とした雰囲気で、一言でいえば、いい会社だった。しかし、それは急に訪れた。

ある日、会社が倒産した。

第3部 インターネットビジネスで起業

第3部 インターネットビジネスで起業

数千万の売掛け金。それが回収不能となった。簡単に言えば、大口の取引先が夜逃げした。会社の資本金と変わらないような金額のキャッシュが、ある日、忽然と消えた。

私の名前が呼ばれた。その日、朝から社員が一人ずつ、社長に呼ばれている。

「ごめんな」と社長は謝った。いつも強気な社長が小さく見えた。

大きな企業から私を引き抜き、2年ほどでこんなことになってしまったことを、特に申し訳なく感じているようだった。私は努めて「大丈夫ですよ」と答えることしかできなかった。

一方で、その時、私はもう決心を固めつつあった。胸の内で、これは大きな転機になるかもしれないと感じていた。この一件がなければ、ひょっとして人生において、そのタイミングがなかったかもしれない。

起業。

20代のフリーランスの独立から、ちょうど10年が経っていた。もう一度、チャレンジしよう。そう心に決めた。

2009年4月、会社を設立した。私が、この会社の代表取締役だ。ここからのストーリーも語りたいのはやまやまだが、ここで筆を置きたい。

どうやってネットショップを開店し、そのショップを増やし売上を拡大させたのか。あるいは、起業して3年くらいの苦労話も為になるかもしれない。アフィリエイトのコンテストで1位を獲得した話も興味があるだろうか。

これらのすべては、このブログの記事やメルマガで、「あなたの役に立つノウハウ」として少しずつ語っていきたい。

どうすれば、インターネットビジネスで「自由な時間」と「豊かなお金」を生み出すことができるのか?

「インターネットビジネス 成功の方法」を、あなたも知ってほしい。「自由な時間」と「豊かなお金」を、あなたも手に入れてほしい。

エピローグ あなたのストーリー

かなり駆け足となってしまった。これは、私の起業するまでのストーリーだ。

アナログ派の美術学生だった私は、大学でMacと出会い、Web業界に入る。フリーランス、サラリーマン、ハードな仕事、リストラ、倒産を経て、起業。

「やりたいことをやる」

幸いなことに、今現在、そのように生きられている。

あなたには、どんな人生のストーリーがあるだろうか。今までの、そしてこれからの。

最後に、どんな人がネットビジネスに向いているのか、知りたくないだろうか。あなたはネットビジネスで成功できる? これについて知りたければ、もうちょっとだけつきあって欲しい。(3へつづく)

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ブログ執筆者

いくつかのブログやネットショップの運営をしている。さまざまな会社を経験。社員10万人規模のメーカーから、東証一部上場のIT企業、のちにジャスダック上場のベンチャー、社員10人ほどの中小企業、フリーランス(個人事業主)まで。2009年に起業、会社設立。
 
インターネットビジネスのキャリアは、副業5年、起業後10年。